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レイニーとジョリーンに興味湧いてきた。

漫画の話でもしようか。

俺が本当に泣いた漫画は2つある。
「うしおととら」と「赤ちゃんと僕」だ。
うしとらは最終話の、潮ととらのやりとり。
有名だよね。

赤僕も最終回。
主人公たくやの弟みのるが、たくやの不注意で事故に遭う。
瀕死のみのるを想う、兄や父の気持ちを、
イヤらしくない泣かせ方で見せるので、
素直に号泣してしまった。
「これは少女漫画じゃないと出来ないな」と思ったものだ。

前者は「友情」。
後者は「家族愛」。
劇中において、どちらも「死」が関わっているので、
まぁ悪く言えば泣きの定石だ。
しかし、その「死」を排除したとしても、
「友情」や「家族愛」というのは心を揺るがす要素だと思う。
人間が、どうしても必要な物ではないだろうか。
同時に、失くした人、持ち合わせていない人が切望する物だ。

替えが利かない。

だからこそ、「死」が絡む。
泣きの定石として以上の役割を持つ。
もちろん、「死」を扱わずに泣かせるのは難儀だろう。
だがしかし、大切な物の価値は、失って気づくものでもある。
喪失、離別の最たる表現として「死」はある。

手法として、「死」が古臭くならないのは、
人間のプリミティブな情動に触れるからだろう。
作家は新しい物を生み出さねばならない義務がある。
が、「死」は要素の1ピースとして、変え難い最小単位になっている。
結局、現象として弄くれない「固さ」をそのまま扱うしかない。
要はその利用法というだけである。

表現において有効な手段としての「死」。
マンネリしない永久機関的手法の「死」。
難しいのは、前古のパターンからの脱却である。
劇中で友人が死ねば、家族が死ねば、泣けるというものではない。
「死」は素晴らしい武器であり、
同時に、錆び付いた鞘に収められてもいる。
抜き方次第で、先んじる事も出来、後手に回る事もある。
あえて後の先をとるような、そんな使い方が出来たらいいな。

何言ってんだか俺もよくわからんのだけど、
安直に「死」を扱うのは単純過ぎるなと俺は思っていた。
誰も死なせずに泣かせる事が、より高尚だと。
だが、どうも違うようだ、と俺は思うようになった。
「死」を上手く利用出来るのが、本当の力ではないのかと。

前述の二冊や、浅田次郎を読んでいると、
そう思わずにはいられないのだ。
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trackback(0) | comment(0) | 2007/08/20 Mon
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